菊竹清訓のこころ




菊竹清訓に関するシンポジウムが文化庁と早稲田大学が共催して開かれ参加した。

第一部「菊竹清訓のこころ」

穂積信夫、徳永譲、古谷誠章氏

穂積氏は早稲田大学の同級生で、菊竹さんは、学生のときから頭角を表していたこと。構造家の松井源吾氏とは、息の合ったコンビであったことについて。

徳永氏は伊東豊雄氏のピンチヒッター。時の流れに沿って自らを体現化した建築家であったこと。

松井氏に連れられて、当時四ッ谷にあった菊竹事務所で開かれたホログラフィーの建築への応用する会合に参加したことを思い出した。ホログラフィーの技術はその後しばらくしてから実用化されたが、菊竹氏の新しい技術への触覚であった。憧れの菊竹さんと、間近に接することができた貴重な経験だった。

第二部「現代、未来への挑戦」

内藤廣、原田敬美、松隈洋、中谷礼仁

海上都市、メタボリズム、環境、情報化が話題となった。

内藤氏は、1977~78年の所員時代の思い出。
―菊竹さんが、「オフィスの使用状況が違うのをセンサリングして、例えば、人の重さの違いによって構造をコントロールできないか」と言ったこと。今のコンピューターでできるかできないかの話だった。
―柱がどんと出る設計をしていると、菊竹さんが、「君、その柱は付けたいのか付けたくないのか」と言う。私が「松井源吾さんの事務所で検討してもらったら、このくらいの太さが必要だという結論になった」と返すと、「その柱をタングステンにしたらどうだ」と言った。

菊竹さんのスピーチで、「エッフェル塔を設計したエッフェルは、エンジニアでなく建築家として評価されるべきだ」とよく言われていたのを思い出す。

原田氏は建築家の社会的地位向上への貢献について。

中谷氏は京都信用金庫の作品群は、社会共通資本となることを目指していた。

余話

元所員の方が、建築家であった奥様に「2Bの鉛筆の腹」で太い線を引くことを教えられたことを、懐かしく語られた。

松井氏から、「菊竹さんが駆け出しの頃、奥さまと卵の殻を食べて栄養補給をしていた」という話を思い出した。