「応仁の乱前夜 将軍暗殺!嘉吉の変」英雄たちの選択NHK

産業構造が変わろうとしている 応仁の乱が古い体質から脱皮できなかった歴史の手本 時代は公から私の復権を目指した令和一揆か

応仁の乱前夜 ー 嘉吉の変(1441)

京都を騒乱に巻き込んだ「応仁の乱(1467)」の原因は、嘉吉の変(1441)にさかのぼる。

この年、将軍足利義教の暗殺と史上最大規模の土一揆が勃発した。

農民は年貢を寺社に捧げものとして納めていたが、飢饉により生活が苦しくなった。

一斉に蜂起した農民は京都の寺社を占拠して、幕府に徳政令を要求した。

この農民層は、26年後の応仁の乱では足軽として戦にかり出され、さらなる戦闘能力を持つようになる。

一揆は、東寺の五重の塔を焼き討ちしようとした。

磯田道史が応仁の乱の原点である嘉吉の変についてゲストと話し合った。

ゲストは
・呉座勇一(「応仁の乱」著者)
室町時代は貨幣経済が発展し、社会格差が顕在化した。
寺社は荘園主として、年貢を徴収していた。
土倉、酒屋が金融業として富裕層を形成していた。
農民は飢饉で貧窮していた。

・井上章一(「京都ぎらい」著者)
室町幕府は寄合所帯で、将軍に対する忠誠心はなかった。
足利義教が幕府の集まりで襲われたとき、家臣はみな逃げた。

幕府に不満はあったが、それをおもてに出さないのが京都的だった。

幕府はサロン化して、お茶、生け花、能などで互いに親交を深める場だった。

慈照寺(銀閣寺)応仁の乱後建てられた

番組は、嘉吉の土一揆で焼失を免れた京都・東寺の境内で収録された。

土一揆に占拠された東寺 北野天満宮 東福寺

貨幣が流通し格差社会だった

貨幣経済が発達し金融業の台頭し、農民との格差が生じた。

義教を継いだ管領・細川持之は、一揆が要求する徳政令を出し、借金をチャラにした。その結果、幕府の財源は減り弱体化した。

この選択が、応仁の乱に続く戦国の時代に突き進んでいく要因になった。

「公」に反旗を翻し「私」が台頭した

嘉吉の土一揆は、時代の流れに取り残された農民の蜂起である。

これまで歴史の主役は、公と私が入れ替わってきた。

幕府 → 一揆 → 統一 → 維新 → 帝政 → 民主化 → ・・

現在に照らし合わせてみよう。新しい産業であるAIの時代になると、中世と同様、新しい流れについていけない人々が貧困化して格差社会が生ずる。

昭和時代、国が一丸となって高度経済成長してきたが、これからは国家「公」に対する忠誠心は薄れ、「私」が復権する時代になるのか。

英雄たちの選択 NHK

【司会】磯田道史,杉浦友紀【出演】呉座勇一,井上章一【語り】松重豊

感想

タイトルにある、個人名の「英雄」は登場しなかった。
土一揆を主導した馬借を英雄としたのかもしれない。馬借は、運送業者で国内を行き来して、社会の格差を実感していた。各地をまわり、得られた情報網を駆使して土一揆を画策した。