「応仁の乱前夜 将軍暗殺!嘉吉の変」英雄たちの選択NHK




産業構造が変わろうとしている 応仁の乱が古い体質から脱皮できなかった歴史の手本 時代は公から私の復権を目指した令和一揆か

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嘉吉の変(1441)

京都を騒乱に巻き込んだ「応仁の乱(1467)」の原因は、嘉吉の変(1441)にさかのぼる。
この年、将軍足利義教の暗殺と史上最大規模の土一揆が勃発した。

農民は足軽として戦にかり出され、戦闘能力を持つようになる。
年貢は寺社に捧げものとして納めていたが、飢饉により生活が苦しくなり京都の寺社を占拠する。

一揆は、東寺の五重の塔を焼き討ちしようとした。

番組は、嘉吉の土一揆で焼失を免れた京都・東寺の境内で収録された。
・呉座勇一(「応仁の乱」著者)
・井上章一(「京都ぎらい」著者)
と磯田道史が応仁の乱の原点である嘉吉の変について話し合った。

土一揆に占拠された東寺 北野天満宮 東福寺

室町幕府は仲良しサロンだった

足利義教が幕府の集まりで襲われたとき、家臣はみな逃げた。
幕府は寄り合いなので将軍に対する忠誠心はなかった。

幕府はサロン化して、お茶、生け花、能などで互いに親交を深める場だった。

慈照寺(銀閣寺)応仁の乱後建てられた

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貨幣が流通し格差社会だった

貨幣経済が発達し金融業の台頭し、農民との格差が生じた。

義教を継いだ管領・細川持之は、一揆が要求する徳政令を出し、借金をチャラにした。その結果、幕府の財源は減り弱体化した。

この選択が、応仁の乱に続く戦国の時代に突き進んでいく要因になった。

私が台頭した土一揆

嘉吉の土一揆は、時代の流れに取り残された農民の蜂起である。

これまで歴史の主役は、公と私が入れ替わってきた。

幕府 → 一揆 → 統一 → 維新 → 帝政 → 民主化 → 統制

現在に照らし合わせてみよう。新しい産業であるAIの時代になると、中世と同様、新しい流れについていけない人々が貧困化して格差社会が生ずる。

昭和時代、国が一丸となって高度経済成長してきたが、これからは私が復権する時代になるのか。

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英雄たちの選択 NHK

【司会】磯田道史,杉浦友紀【出演】呉座勇一,井上章一【語り】松重豊

[su_note note_color=”#e8e8ce”]タイトルにある「英雄」は登場しなかった。強いて言えば土一揆を主導した馬借か。馬借は国内を行き来して、社会の格差を実感して、将来に不安を感じていた。情報網を駆使して土一揆を画策した。[/su_note]