映画「東京裁判」2019(4K版)小笠原清、伊藤俊也トークショー

昭和の戦争ドキュメンタリー。誰が、この戦争を引き起こしたのか?

1945年8月に降伏した日本の戦後の運命を決定づけたー極東国際軍事裁判から紐解く

東京裁判2019(4Kデジタルリマスター版)

『人間の条件』などで知られる社会派映画の名匠、小林正樹(1916-1996)が、1983年に手がけたドキュメンタリー大作を高画質でリバイバル上映。

太平洋戦争後の1946年に開廷し、日本の戦争犯罪人に裁きを下した東京裁判の全貌を、米国防省に残されていた膨大な記録フィルム(170時間、1973年公開)をもとにたどる。上映時間は4時間37分と長い。

監督補佐・脚本の小笠原清が監修。
ナレーターは、佐藤慶。音楽は武満徹。

8月3日からユーロスペースなど小映画館で全国公開中。
客の入りは、ほぼ満席が続き、人気だ。

 

東京裁判とは

太平洋戦争での日本の敗戦後、日本を統治する連合国軍最高司令官マッカーサー元帥は、戦争犯罪人の裁判を早急に開始することを決定した(1946年1月22日)。

会談 1945年9月27日

第1回裁判は、連合国により1946年5月東京で開廷された。これを通称“東京裁判”という。法廷は市ヶ谷に置かれ、2年6か月にわたり416回の公判が行なわれ、28名の戦犯が裁かれた。

被告は全員無罪を主張したが、検察側は日本軍の非道の数々を告発。

冒頭に弁護側は「戦争は国家の行為であり、個人責任は問えない」と異議申し立てするが、「個人を罰しなければ、国際犯罪を実効的に阻止できない」と、裁判長は却下した。

1948年11月12日、病死した被告などをのぞく25名のうち東条ら7名に絞首刑、他18名は終身禁固刑(のち釈放)もしくは有期刑が宣告が下された。

上映後トークショー 小笠原清、伊藤俊也

渋谷ユーロスペース 8月10日(土) 11:00~

上映後に、小笠原清さん(右、「東京裁判」の監督補・脚本家)、伊藤俊也さん(中央、映画監督、「プライド 運命の瞬間(とき)」など)のトークショーが行われた。

小笠原清(東京裁判の監督補・脚本家)の談話

9才で体験した終戦は人生で一番の大事件だった。

小林正樹監督は劇映画として作る目標だった。スタッフに対しては、自由に仕事をさせもらえて楽だった。

2019年版は、元の35㎜フィルムをデジタル化した。

東条英機のしぐさなどの映像は、臨場感が飛躍的に向上した。

東京裁判以外に世界各国から挿入するフィルムを集めたが精粗があり見にくかった。デジタル化により映像が鮮明になり見やすくした。

佐藤慶のナレーションは評判が良い。音声が変わるので何回もやり直した。通しの最終録音では、音質を均質にするため回復する時間を取って1週間かかった。(全編ハリのあるミズミズしい音声だった)

音楽の武満徹は、長くなってもカットすべきではないと言っていた。

戦勝国が開く裁判に公平性を期待するには本質的に無理だと思う。
東京裁判は、米国は「戦争の政治上の決着として裁判という形にした」ものと考えている。

天皇は、戦争責任者だったが、免責としたのは、米国の意向だった。米国は日本の社会をよく研究していた。結果としてみれば悪くなかった。

東条は太平洋戦争の開戦は、天皇の決断に従ったと証言してしまい、米国を慌てさせた。そのあと、東条は「天皇は、日米開戦は本意でなく渋々承知した」と証言したので天皇の告訴には至らなかった。

米国のブリトニー弁護人は、広島の原爆投下について、米国を非難し東京裁判の無効を訴えたが、速記録に残らなかった(映像は残った)。

伊藤俊也(映画監督)のコメント

8才で終戦を迎えた。

東条英機を主題とした「プライド 運命の瞬間(とき)」を作る時、私は東京裁判を反面教師とした。

東京裁判は米国は、終戦となってっも継続した戦争だった。

米国は日本人の好戦的な国民性を封じ込め、民主的な国家とする確信を持つまで東京裁判という形で戦争は続いた。

当時の日本人は敗戦により厭戦的になり、米国のなすがままだった。

ドキュメントというには説明過多、解釈先行が惜しまれる。例えば、東条が自殺を図ったときの輸血した米兵のくだりは感傷的になりすぎている。

広田弘毅を好意的に扱っているが、証言をせずどうだったのか。
事実を証言した東条英機に好意を感じる。

南京事件の説明は、中国側のデーターに偏っている。

天皇の扱いについてマッカーサー回想録を基にしているが、疑わしいところもある。

私は「プライド 運命の瞬間(とき)」を作るとき、劇映画ながら、弁論証言場面は裁判記録に拠り事実をもって事実のみを語らしめようとした。

まとめ

映画「東京裁判」は、東京裁判を軸として昭和の日本が行った戦争の流れを、第2次世界大戦の進行と重ね合わせたドキュメンタリー映画。

人類が「戦争」をしてしまうという業がもたらす悲惨さを描いている。