縄文系弥生人~銅鐸を作る弥生人が縄文の土偶・石棒を作った.NHK







縄文系弥生人とは?

縄文時代から弥生時代に移り変わる、紀元前6世紀が舞台です。

この縄文から弥生への移行期に関しての新説が有力なので説明します。

これまで弥生時代について、「大陸から伝わった水田稲作と青銅器・鉄器を特徴とする弥生文化が、瞬く間に、縄文文化を席けんして、弥生時代が到来した」という通説だったが・・・

縄文時代の流れをくむ土偶を愛した弥生人が、近畿地方にいた!

縄文系弥生人の存在が浮かび上がった。

弥生遺跡から縄文模様の土偶・石棒・銅鐸が出土

近畿地方の弥生時代の遺跡から縄文時代の流れをくむ祭祀に使う、土偶・石棒・銅鐸が出土した。

縄文の合掌土偶(出産のポーズ・安産のお守:八戸出土)の形態は、
弥生人が定住した後になって、東日本から近畿地方にまで広まった。

これは、北九州の弥生遺跡からは、武器が多く出土されているのと対蹠的である。


弥生時代後期の文化圏

近畿地方は弥生系と縄文系の集落が共存

大阪の長原遺跡・八尾南遺跡の遺跡(紀元前6世紀)では、縄文系の集落と弥生系の集落が共存していた。

両方の遺跡から、縄文特有の祭祀に使われる石棒(男性のシンボル)が出土された。

弥生時代の近畿圏の遺跡から、縄文特有の装飾が施された、弥生式土器・銅鐸(青銅器)が発掘されている。

縄文系弥生人の誕生

水耕稲作技術を持ち込んで合理性を重んじる弥生人であったが、感性豊かで争いを好まない縄文人と長い間接すると、異民族として来たときの緊張感が段々和らいだと思われる。

彼らは縄文人が行っていた祭祀(祭り、祈り)にも心を惹かれ、行うようになった。

大陸から渡来し水耕稲をしつつ、縄文の祭祀を行った人たちを、縄文系弥生人と呼ぶ。

NHK:英雄たちの選択▽追跡!土偶を愛した弥生人たち~縄文と弥生をつなぐミステリー

「日本の豊かな自然が、渡来した弥生人に作用し、平和的縄文人との共存の道を歩ませた。これから国際化がさらに進む日本の行き方の参考になる」(磯田道史)

 

ここまでが、NHKBSプレミアム(2019年5月1日)の放送のあらまし。
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】松木武彦,中野信子,寺前直人,【語り】松重豊

弥生時代以後はどうなった?

弥生時代後期

弥生後期、西暦100年ごろの北陸の弥生遺跡からは、攻め込んできた渡来人は縄文人と入れ替わっていることが、発掘された人骨のDNA鑑定によりあきらかになった。NHKサイエンスZERO

石棒は、縄文時代からの祭祀に用いられ、弥生遺跡からも出土していたが、縄文系弥生遺跡から石棒は消滅していく。

西暦200年ごろ、九州の新興勢力が銅鐸文化を持つ近畿地方に攻め込み、銅鐸文化を消滅させた。

銅鐸は、弥生初期では縄文時代の伝統的な儀礼を継承し、共同体の所有物として平等な社会秩序の維持機能を果していた。

古墳時代

西暦300年ごろ、縄文から続く祭祀の形跡はなくなり、大和朝廷の古墳時代が始まった。

渡来人の流入は古墳時代も増加を続けていく。

縄文系弥生人はどこへ行ったのか?

弥生時代から古墳時代のミステリーの解明を期待しよう。


2019年5月2日日本経済新聞