日本人のルーツをDNA、歴史書で解き明かす~弥生時代







日本人のルーツをDNAで解き明かす!縄文時代~弥生時代ー中国からの渡来

「DNAでたどれ!日本人はどこから来たの?」を最新の情報でわかりやすく解説。

人類の誕生

60万年前にアフリカ大陸からネアンデールタール人が出る。

ホモ・サピエンス(人類)は、20万年前アフリカ大陸から出て、ネアンデルタール人と交雑しながら東に進み世界中に広がる。

4万年前に日本に到達

旧石器時代:4万年~1万5千年前

ホモ・サピエンスは、南西諸島、朝鮮半島、サハリンの3ルートで日本に到着。

縄文人は2種類

縄文時代:1万5千年~2400年前

縄文人の人骨のDNAから2種類のグループが判明。

東日本には、異なるDNAを持つ縄文人グループが確認された。

石器も東北日本と西南日本で違うのが裏付けられた。

弥生人は現代日本人と同じDNA

弥生時代:2400年前~300年

現代日本人は縄文人のDNAを10%受け継いでいる。

現代日本人のDNAの90%は渡来系弥生人のDNAを受け継いでいる。

渡来系弥生人は北部九州に上陸し、縄文人と交雑する。

歴史書「翰苑」~前473年

歴史書「翰苑」第三十巻に呉国から倭国に渡る記述がある。

「文身黥面 猶称太伯之苗」文身黥面(ぶんしんげいめん)して、猶(な)お太伯(たいはく)の苗(びょう)と称す。

「魏略(ぎりゃく)に曰(いわ)く、女王(国)の南に又た狗奴(くぬ)国有り。男子を以て王と為す。其の官を、狗古智卑狗(くこちひこ)と曰う。女王(国)に属せず。帯方(郡)より女王国に至るまで万二千余里あり。其の俗、男子は皆な黥面文身す。其の旧語(古い話)を聞くに、自ら太伯の後なりと謂(い)う。昔、夏后(かこう)少康の子、会稽(かいけい)に封(ほう)じられ、断髪文身して、以て蛟竜(こうりゅう)の害を避く。今、倭人も亦(ま)た文身し、以て水の害を厭(はら)うなり」

女王が治める国の男子は顔にも体にも入墨をしている。遠い先祖は呉国を興こした太伯だと名乗っている。昔、夏朝(紀元前千九百年~千六百年頃)の第六代皇帝だった夏后少康の子(無余)は会稽(浙江省)に封じられ、髪を短く切って入墨をして、蛟竜(蝮(まむし)や海蛇など)の害を避けた。今の倭人もこれにならい、入墨をして水の害を払っているのである。

太伯は古公亶父(ここうたんぽ)の長男で、弟の虞仲(ぐちゅう)とともに呉国の始祖。今から四千年ちかく前。

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「呉国は春秋時代まで命脈を保ち、周の元王三年(紀元前四七三)に越王勾践(こうせん)に亡ぼされた。その時王族が海上に逃れ、黒潮に乗って九州にたどりついた。遣唐使船は、蘇州から薩摩に向かっている」

「天皇家の祖である邇邇芸命(ににぎのみこと)は、薩摩の笠沙(かささ)の岬に上陸したという説がある」

『古事記』には、邇邇芸命は「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙の御前(みさき)を真来(まき)通りて、朝日の直(ただ)さす国、夕日の日照る国なり」と言って喜んだと記される。

邇邇芸命は笠沙で木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)と出会い、三人の皇子をなした。長男の火照命(ほでりのみこと)(海幸彦)は隼人の始祖になり、三男の火遠理命(ほおりのみこと)(山幸彦)は天皇家の祖先になったという。

朝廷が編んだ『古事記』や『日本書紀』には、天皇家の先祖が呉国から渡ってきたとは記されていない。両書を審議した唐の高官たちは、その矛盾を衝いた。

これには、自ら太伯の後と謂(い)うとしか記されていない。これだけでは事実かどうか分からない。

多治比縣守も藤原宇合も唐側にはもっと詳しい史書・魏略がある。

239年倭王(卑弥呼)中国に遣使。

渡来人の大挙流入

古墳時代:300-700年

古墳時代には、渡来人が大挙して上陸し現代日本人のDNAが決定づけられた。

この間は、記録が空白で暗黒時代という人もいる。

478年倭大王(雄略天皇)中国に遣使。

681年天武天皇・皇親政治が始まる。

まとめ

NHKのDNA解析の記事と同じ趣旨だった。

現代日本人は弥生人より中国人に近い・NHKサイエンスZERO