隈研吾最終講義第7回を聴く「歴史と継承」 藤森照信/御厨貴

「工業化社会の後にくるもの」 第7回「歴史と継承」が開催された ゲスト 藤森照信・御厨 貴

2019年12月18日(水)17時〜19時30分(台風のため延期して開催)

藤森照信|建築史家
御厨 貴|政治学者/東京大学名誉教授
隈研吾

主催  東京大学建築学専攻隈研吾研究室

会場  東京大学本郷キャンパス安田講堂

隈研吾の講演

銀座の歌舞伎座を前設計者の吉田五十八を意識して改築した。

大阪歌舞伎座は村野藤吾のファサードを残して改築した。

東京駅前の吉田鉄郎設計の東京中央郵便局を保存・増築した。

丹下健三の1964年オリンピックの代々木の体育館を小学生の時に見て感動したが、今回のオリンピックの国立競技場を設計できた。

コンクリートや鉄でなくて木造を中心に設計した。

藤森照信の講演

隈建築が到達するまでの道筋。

デビュー作の「伊豆の風呂小屋」はガチャガチャしている。当時尖っていた石山修武のオマージュとして設計した、機械的なデザイン。

マツダショールーム「M2」は、ギリシャ神殿の一本柱。聖なるもののパロディだが、形は本物と同じ。ポストモダンの派手な引用だった。

「水・ガラス」は、ガラスを正面から扱った。ガラスは水と親和性が強いので温泉ホテルにマッチしている。

その時代の前衛的なものを先駆的に試してきた。毎回違うので隈の七変化と言っていた。

馬頭町広重美術館を見て隈さんらしいものを発見したと思った。
鉄とガラスのルーバーは、微分積分のやり方を世界で始めて建築に導入した。

那珂川町馬頭広重美術館
ゆったりとした平屋建、切妻の大屋根。 地元産の八溝杉による格子(ルーバー)に包まれ、時間とともに移りゆく光によってさまざまな表情を見せる。内装も地元の材を使い、壁は烏山和紙、床は芦野石でできている。

隈さんの設計手法

建築には対立物がある。例えば、内と外。コンクリートと鉄など。建築は対立したものを一体化する。
隈さんの手法は、微分積分により対立したものを一体化させている。

丹下健三は、造形で自分の中で対立する弥生的なものと縄文的なもの、大きなもの小さなものを弁証法的発想で一体化した。代々木の体育館が代表的で、対立物を表に出していない。

岡本太郎、磯崎新は対立をそのままにして、緊張状態を維持しながら一体化している。
伊東豊雄は反転させている。反転とはゴムまりに穴を開けるて裏と表をひっくりかえすこと。

隈さんは微分積分でうまくいっている。国立競技場は外装で周りに植物を配して対立を解消している。

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御厨 貴の講演

総理大臣の館(やかた)ついての話。
総理大臣の家を、有名建築家が作った例は少ない。吉田五十八は岸信介の御殿場の家を昭和44年設計した。総理大臣失脚後に再起を願って造った数寄屋建築。大人数の客のもてなし、東名高速の利便性利など、政治家の家の粋と言われていた。現在は虎屋が所有している。

昭和最後の総理大臣、中曽根康弘は、自分の家を気にしていた。芦原義信に設計を頼んだのが自慢。奥多摩にある別荘「日の出山荘」は古民家で行きにくいところだった。中曽根は一人になれる場所を求め、山荘で座禅や俳句をした。

日の出山荘

竹下登は佐藤栄作を尊敬していた。自宅を佐藤の家に近いところに何回も引っ越し、ついには佐藤栄作邸に住んだ。竹下は小渕恵三を総理にするため、その家を600万/月を借りるように勧めたが実現しなかった。竹下、小渕は河口湖で隣あった別荘を持っていた。

細川護煕、麻生太郎の家は立派だ。安倍晋三は、館、動線に興味がない。深みがないので答弁は屁理屈めいたことをいう。小沢一郎は岩手の地元の家を放置して、冷たい男のイメージがある。

隈、宮崎、御厨の対談

K:家に興味がある政治家がいなくった時代になった。

F:丹下健三は代々木体育館建設の時、建設費オーバーのため当時大蔵大臣の田中角栄に予算追加を頼んで認められた。その後丹下事務所には国の仕事が来なくなったようだ。

F:田中角栄は一級建築士だったが、第一号ではなかった。実際に筑波の集合住宅の設計をしていた。娘の田中真紀子は、父の影響から国立建築資料館を作った。

F:丹下さん資料は、ハーバード大学に寄贈された。

F:建築のパトロンは電話が来ないと始まらない、建築は力かお金がないとできない。

F:明治は建築家のパトロンは国だった。戦後は自治体となり。次に大企業がパトロンとなった。

F:大企業の本社は日建設計が多く作ってきた。日建のこぼれ話は、大企業が本社建築を注文するとき、あまり要求を出さないので何を造っていいか分からず、励みがないことだ。

F:最近ではゾゾの社長は家が好きで若い設計者に頼んでも、なかなかまとまらないようだ。

K:大企業から建築を頼まれるとき劣化の話は出るがビジョンがない。

F:丹下と東京都との関係はずうと続いた。有楽町の都庁舎が建設後すぐに手狭になったとき、相談に行くと「建築に合う人間しか入れないで」と言っていた。

F:丹下さんはシャイだった。丹下は教壇でブルブル震えていたが、鈴木俊一都知事の選挙カーには乗っていた。建築のためには何でもした、建築一筋の人だった。

F:明治の政治家、井上馨は大きな建物の必要性を感じて鹿鳴館を作った。列強との条約交渉にあたり、夜は鹿鳴館でダンスをして文明の度合いが同等であることをアピールした。

K:第一代歌舞伎座ははじめ洋館だった。帝劇が洋館として建てられ、歌舞伎座は和風の屋根に改修した。

K:チャーチルは建築はあなたが作るが、建築はあなたを作ると言っていた。

M:チャーチルを尊敬した吉田茂は吉田五十八に設計を頼んだが、吉田には審美眼はなかった。

K:日本人には建築はどうでもよくて、周りの自然が大事だという精神構造がある。

F:建築と庭とどっちが大事か。竜安寺では建築よりも庭を見る時間の方が長い。人間は建築よりも庭が好きだ。

F:浄土庭園の平等院はこの世から浄土にスーッと抜けていくような変な感じがする。浄土庭園には池、中の島、松がある。

K:国立競技場のザハ案に対する槙さんなどの抵抗キャンペーンは、建築の主役感に対する忌避だろう。

K:日本人が建築に強い要求がないのは無能でなく日本人的で、自然との関係を重視する。ソリッドで隙間のない建築を好まない。

M:関東大震災では建築家は復興の仕事をした。その後、満州で活躍した。敗戦後は焼野原の復興をした。

F:国会議事堂は木造で3回も燃失したが、本格的なものを作ろうとするまで50年かかった。

一代目国会議事堂

質問1 建築家と政治家のつながりが消えているというが、世界ではどうか。

K:習近平は、一帯一路のアドバイザーとして精華大学の名誉教授がついている。CCTVのレムコールハースが設計した目立つデザインの建築を批判したりしている。

cctv

K:習近平は、環境と建築保存に力を入れている。窓面積の規定はうるさくて、ガラス張りは作れない。

K:フランスのミッテラン大統領は建築の意識が高く、建築を主導した。しかし、後でモニュメンタルな建物を作りすぎたと批判されている。

グランパリ

M:明治の政治家が建築の関心が低いのは、下級武士出身なので土地を持っていなく、2代は続かないためだ。建築を作る時間も余裕もなかった。

M:磯崎新がアラブの家を設計したが、竣工式に招かれても行くと殺されるので辞退した。

質問2 女 庭とランドスケープについて

M:池田隼人は庭に灯篭をいっぱい置き、置物もいっぱい集めていた。

F:細川護煕の茶室で唯一言われたのは、庭の木の植え方だった。

F:アメリカで生まれたランドスケープの概念が好きでない。槙文彦、伊藤豊雄はランドスケープを自分でやっている。木と石と水しかないので自分でやれるはずだ。

質問3 女 ユニバーサルデザインについて

K:国立競技場ではユニバーサルデザインには時間を割いて、いろいろな問題を潰していった。車椅子の観客席は、前の人が立っても見れるようにした。トイレの個室で非常放送が聴けるようにした。

F:茶室にエレベータを作った。東京オリンピックで小さなパビリオンを若い建築家と10個計画している。会田誠と10mの高さの段ボール東京に取り組んでいる。

質問4 男 都市形成の政治的なことは?

K:吉田五十八は東京都と関係していた。村野藤吾は大阪府と関係していた。

質問5 男 吉田五十八の評価にギャップ。建築と政治の関係について。

F:建築家は有名政治家の家を設計すると友達をなくす。前川、丹下、坂倉はあえて茶室をやらなかった。彼らはその時代の記念碑を作っているという自負があったからだ。

M:新官邸をだれに頼むか委員会形式で決めた結果、極めて個性がない建築となった。

K:微分を考え出したリーマンは、最終講義で「19世紀は大きさを目指して発展きたが自分は小さいのが価値を持つので、目指す」といっていた。

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次回の最終講義08

2020年1月25日17:00~19:30
エンジニアリングの未来
江尻憲泰(建築構造家、長岡造形大学教授)佐藤淳(建築構造家、東京大学准教授)
隈研吾

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