能楽とは
平安中期の滑稽な寸劇「猿楽」を基に、14世紀の室町時代に観阿弥・世阿弥が能の形を作り上げました。
江戸時代には、徳川幕府が中心となり武家の芸能として完成をみました。
能は、謡(うたい)と舞(まい)を中心に構成されています。亡霊や生身の主役が登場し、能面をかけて演じます。
狂言は能の対として「笑い」を基調とし、庶民の日常や民間説話を素材としています。
「能」の早わかり
仮面をつけて演じる歌舞劇

仮面や美しい衣裳をつけた人物が、笛や打楽器と、言葉に節をつけた謡(うたい)に合わせて、せりふと舞によって物語を展開させる歌舞劇です。
演者のわずかな動きに深い意味が込められています。亡霊や精霊など、現実の人ではない者が主役となることが多いのも特色です。
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能の舞台は小さな「宇宙」

能舞台はひとつの哲学を持っています。
「無」の空間にさまざまなドラマが生まれ、それがま「無」に戻って鎮まるということです。
これは「禅」の精神と共通するものではないでしょうか。
最初に能楽堂に入ると、屋根の下にまた屋根のある能舞台があり驚きます。
能舞台は、もとは野外で建ててられていたのを留めているためです。
背景の老松の絵も能が野外で上演されていた名残でしょう。
能の種類
能の演目は主題によって5つに分けられます。


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能の進行
能が演じられるとき、ベルのような合図がないので、最初はいつ始まり終わったの分からないかもしれません。
はじめて実際の能を観ると、誰が何をしているのかも分からないかもしれません。
能には大まかな上演の流れがあります。
亡霊が現われて過去を回想するというパターンの「夢幻能(むげんのう)」の場合、能は、前後の二つの場で構成されます。
井筒(いづつ)の例で舞台の流れを見てみましょう。
能「井筒」の舞台

何もない舞台
舞台の上は何も置かれていません。

笛の音が開演の合図
揚幕(あげまく)の向こうから、笛の音が聴こえてきます。「囃子方(はやしかた)」という器楽の奏者が、鏡の間で調子を整える音が、開演の合図です。

声楽や器楽などの演者の登場
揚幕から囃子方が、続いて舞台の右奥のくぐり戸から、「地謡(じうたい)」とい合唱する演者たちが現われ、舞台の右側に座ります。
舞台装置の運び入れ
「作り物」という、簡略化された舞台装置が、「後見(こうけん)」によってが運び込まれます。これで上演の準備が整います。

相手役の登場
囃子の演奏が始まると、揚幕から「ワキ」という相手役が現われます。
仮面は着けていません。演目によってはワキに伴う従者なども、このときに登場します。

相手役の自己紹介
ワキは自分が誰かを名乗り、これまでの旅の様子と、ある場所へ到着したことを述べます。長い旅路は、前後に数歩進むことで表されます。

主役の登場
仮面と美しい衣装を着けた主役の「前(まえ)シテ」が、揚幕から現われます。
前シテは、亡霊や神が人の姿を借りていることが多く、ワキの問いかけに答えながら、その土地にゆかりのある物語を話し始め、自らがその物語の主となる人物であることをほのめかします。

前半の終了
前シテは、いったん退場し、これで前半が終わります。

狂言の演者による物語の説明
狂言の演者が、ワキとやり取りをし、その土地の故事や事件について語ります。
狂言の演者が、能の一役として登場することを「間狂言(あいきょうげん:アイとも)」と呼びます。

主役の舞と退場
姿を変えた主役の「後(のち)シテ」が再び現われ、後半が始まります。
後シテは、亡霊や神が本来の姿で登場し、華やかだった頃をしのんで謡ったり舞ったりし、夜明けとともに退場します。
すべては、ワキが見た夢のなかの出来事であったことになります。

他の演者たちの退場
ワキが退場します。作り物も片付けられ、囃子方や地謡たちも退場し、劇が終了します。

何もない舞台
舞台は、何もない空間に戻ります。余韻が残り大きな拍手もありません。
能楽師インタビュー
薪能は芸の原点
「芝居に行く」は、芝のある屋外で能、神楽を見に行く意。薪能のように自然の空気と添いながらやるのが芸の原点。
午前は低音、午後は高音
「東から太陽が上がるのは神の心」。午前中は晴れ晴れとして低音でやる。「西に太陽が沈むのは、仏の心」で高音になる。
感動した能は3日忘れない
「能は分からなくてよい」、「感じろ」といつも言っている。昔から「感動した能は3日忘れない」と言われている。体に感動が残っているっていう3日っていう言葉を使って、昔の人は言ってました。
裏っ側が能を支えている
観世寿夫は、「もう僕はシテ構えなくなったら地謡だけでいいんだ」と言う説を唱え「地謡に命をかけるんだ」って。能演劇は地謡、囃子方が重要な位置にある。
橋掛かりが歩ければその能は成功だ
元狂言師であったから、宝生流の先輩からも教えられた。
「地謡が回してやるよ」と言われた
宝生流の大先輩がいて「お前はただ動いていればいい。回してやる」って言われ。「はい分かりました」って言って(演じた)。
謡が謡えれば、型はできるよ
「型ばっかりやるな」って言う。
「囃子方、何年、何年」って。「謡一生」って言うんですよ。
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能の「謡十徳」
- 『不行而知名所』 行かずして名所を知り
- 『無薬而散欝気』 薬なくして欝気を散ず
- 『在旅而得知音』 旅に在りては知音を得る
- 『不習而識歌道』 習わずして歌道を識り
- 『不望而交高位』 望まずして高位に交じる
- 『不詠而望花月』 詠せずして花月を望む
- 『不老而知古事』 老いずして故事を知り
- 『不触而知仏道』 触れずして仏道を知り
- 『無友而慰閉居』 友無くして閉居を慰め
- 『不恋而懐美人』 恋せずして美人を懐き
能の地頭の位置
観世流での仕舞の地頭の位置は
二人地謡ー客席から見て右
三人地謡ー真ん中
四人地謡ー客席から見て右から2番目
五人地謡ー真ん中
六、八人の地謡ー後列の上記
扇子の持ち方

素謡の扇子の持ち方 能の扇子の持ち方
地謡は謡う前に扇子の竹の部分を舞台に付け(写真右)、謡い終わると扇子を置き、手を袴に入れます。
素謡や仕舞、舞囃子の時は、要(かなめ)を持って斜めに構えます(写真左)。
要元を立て方は家によって違い、写真のように扇子の親骨を横に向る、親骨を正面に向ける、斜めに向ける3通りあります。
家の混成地謡では、地頭もしくはシテの家の持ち方に合わせます。
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