英雄たちの選択・選▽追跡!土偶を愛した弥生人たち~縄文と弥生をつなぐミステリー

土偶が書き換える古代史

美を愛する縄文人と稲作を持ち込んだ弥生人との交流

 

縄文時代の土偶を愛した弥生人が、近畿地方にいた!

縄文から弥生への移行期に迫る。

大陸から伝わった水田稲作と青銅器・鉄器を特徴とする弥生文化が、瞬く間に、縄文文化を席けんして、弥生時代が到来したというのが、これまでの通説だった。

ところが近年、縄文時代の流れをくむ土偶が、少なからず近畿地方から出土していることが報告された。あわせて、縄文時代の祈りの道具・石棒も出土しているところから、縄文系弥生人の存在が浮かび上がってきた。

東北の縄文人が九州の稲作を情報取集していた

東京大学の設楽博巳は、縄文人が弥生人と交流していた仮設を唱えている。弥生初期の福岡県の雀居遺跡から発掘された土器片の文様が青森県の縄文土器と類似していることを発見した。雀居遺跡から発掘された漆で彩色された工芸品と類似の彩色が東北の遺跡でも発掘されている。

縄文時代には遠距離移動の船などのネットワークが存在していた。

縄文人は九州で作られるコメの美味に魅せられて移動した思われる。コメはキャビアのような高級食材だった。

 

東北の縄文土偶が近畿に伝わっていった

八戸の是川縄文館には、妊婦をかたどった屈折像土偶がある。座産のポーズをとり、安産を祈願する土偶である。

東北に原型を持つ座産土偶は安産のお守りとして、弥生時代にも近畿地方に伝わった。

縄文人と弥生人が共生していた近畿地方

近畿地方の弥生遺跡発掘される頭蓋骨には九州のと違いに殺傷痕は少ない。弥生文化博物館の秋山浩三は、大阪の田井中遺跡で弥生人の集落と縄文人の集落とが隣接しているのを発見した。縄文時代の集落に弥生人がやって来て共生していた。両方の集落の境界では石棒が発見された。

近畿地方では62遺跡から163本の石棒が発掘されている。石棒は男性器をかたどったもので縄文の祭祀に用いられる。縄文から弥生に移るころの遺跡から石棒が多数発掘されている。

弥生の象徴、銅鐸も縄文模様

大阪府の東奈良遺跡の銅鐸には縄文模様がある。小松市四日市地方の弥生遺跡の土器にも縄文模様がある。銅鐸は大陸から伝わった弥生時代を象徴する平和的な遺物だが、縄文人が関与していたことが窺える。

小銅鐸と弥生土器

 

近畿地方で争いが起きなかった理由

稲作が鉄よりも500年先に伝わる

紀元前900年頃に稲作が大陸から伝わり、500年後に鉄が伝わった。その間大規模な争いは起きず、渡来人と縄文人は平和的に共存していた。
九州に鉄が伝わって武器となっても、近畿に伝わるには時間がかかった。

森林が豊富

弥生時代の近畿地方でこのような平和な世界が広がっていた理由としては、近畿地方は九州よりも平野が広いので稲作(弥生人)と森林(縄文人)が共存できたと考えられる。

まとめ

磯田:古代遺跡から人の心のありようが読み取れる。

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